2008年8月26日 火曜日

勝ち負けを越えて

Filed under: 未分類 — kadmin @ 11時26分55秒

最近ISISに来てくれるようになったO君のおかげでISISに将棋の輪が広がるようになった。今まで将棋に全く興味がなかった僕やたくさんのメンバーが将棋に関心を持つようになり今やISIS将棋戦国時代。強くなりたいと、毎日盤をかこむ。そのせいもあって、普段見たこともない将棋の番組を見るようになったのだが、そこで不思議な発見をした。将棋というゲームは勝敗が決した後に感想戦というのを行うのである。感想戦とは、勝者敗者が互いに今打ったばかりの手筋について総括しあうのである。あなたのこの手はここがまずかったんじゃないでしょうか、この一手が痛かった、こう打つとがらっと流れも変わったんじゃないでしょうか、という具合に。折しも北京五輪で沸く世の中。陸上にしろ、水泳にしろ勝者は歓喜の雄叫びをあげ全身で喜びを表現する。けれど、将棋の場合、勝者は両手を挙げて喜ぶこともなければ歓喜の声さえあげることもない。いたって平常心なのだ。

僕はここに勝ち負けを越えたある種の考えがあると思った。

人間の能力は相対的なものなので、優秀な人間はそれより劣った人間が存在する場合に限りその姿が浮き彫りになる。勝者がいつまでも勝者で有りたいのならば、敗者の能力が低く有り続を願うのは当然のことだ。が、将棋というゲームでは逆に敗者の実力の底上げを望むのである。人が一番思い悩み葛藤し限界点を突破するときというのは得てして壁にぶち当たったときである。将棋というのはあえてこの壁を自分で作り、自分を更に高めようとする試みのような気がする。羽生善治はデビュー当時、破竹の連勝で数々のタイトルを総なめにしたのだがその後スランプに陥ってしまい沢山のタイトルを失った。しかし、近年また盛り返して過去の栄光を取り戻そうとしている。これなんかも言わば羽生があえて敵を作り、それを乗り越えてきて更に強くなった証明ではないかと思う。僕は羽生が将棋会に残した功績のなかで一番重要だったことは何かと訊かれれば、羽生が勝者の地位に居座ることなくあえて壁を作りそれに挑戦し続けたことによって、将棋界全体の底上げを図ったことであると思う。

今、社会の中では少しずつ人間の勝敗が固定しつつある。勝者にとって勝者で有り続けることはたいへん心地良いことだと思う。けれどその態度では社会全体が持っている底力のようなものが徐々に失われていくばかりで、それでは勝者もいつの日かしっぺ返しを喰らうことになる。勝者は早くそのことに気付き敗者に対して優しい手を差し伸べて欲しいと思う。

cimg3233.JPG(イシスの前で将棋を打つS君とI君)

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